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灼熱のコルカタ

June 15, 2012

コルカタ(カルカッタ)は1911年に首都がデリーに移るまで、イギリス植民地時代の首都だった場所。それだけに人口も多く、現在も産業や商業、文化活動の盛んな町である。そんな大都会コルカタを訪れた。
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コルカタまでは列車で行くことにした。ダージリンからの直行便はないので、まずは始発駅のあるニュー・ジャルパイグリへ。来た時と同じく乗合ジープでシリグリまで戻り、そこからニュー・ジャルパイグリまではオートリキシャで移動した。
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コルカタ行きのチケットは出発の4日前にダージリンの駅で予約した。料金は269INR(約390円)。列車は始発便なので遅れる心配もなく定時の21時に駅を出発した。
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列車は翌朝7時過ぎにコルカタのシアルダー駅に到着。
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車内で一緒だったフランス人、メキシコ人、オーストラリア人のパッカーたちと4人でタクシーをシェアして安宿街で有名なサダル・ストリートへ向かった。
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コルカタでの宿泊先は、伝説の日本人宿といわれるパラゴン。
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70年代から多くのバックパッカーがここに宿泊したといわれている。
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ファン付きの一人部屋で200INR(約290円)。といっても簡素なベッドが一つ置いてあるだけの独房のような部屋だ。カオサンの宿を思い出す。
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コルカタでは特に何がしたいわけでもなかった。ただ、「深夜特急」の著者である沢木氏が訪れたというこの町を、実際にこの目で確かめてみたかったのだ。
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噂に聞いていたほど町は汚くはなく、どちらかというとオシャレな町という印象。大通りにはたくさんのタクシーやバス、それに路面電車。周りにはイギリス植民地時代に建てられた建物が多く立ち並び、西洋の雰囲気を醸し出している。
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もう存在しないと思っていた陶器で飲むチャイ屋さんを発見。風習はまだ残っていた。
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一杯3ルピー(約4円)。チャイを飲み干した後は、陶器を地面に叩きつけて割る。もったいないけどこれがインド式なのだ。
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コルカタの日中の気温は46度。ダージリンとの気温差は20度もある。炎天下での町歩きに限界を感じ、地下鉄に乗ってモイダン公園南にあるプラネタリウムに向かい涼むことにした。
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時間的にちょうどヒンディー語の上演があったので、30INR(約40円)を払って入場。何を言っているのか分かるはずもなく、すぐに眠りに落ちた(--;
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滞在2日目は、リキシャーに乗ってかの有名なマザー・ハウスへ行ってみた。
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マザー・ハウスとは、生前のマザー・テレサが貧困や病気などにあえぐ人々のために援助活動の拠点としていた場所である。
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1階に安置されているマザー・テレサのお墓の前では、たくさんのシスターたちが祈りを捧げていた。
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現在でも多くの外国人がボランティアをしに訪れるというマザー・ハウス。ボランティア活動のためにサダル・ストリート周辺の安宿に長期滞在している日本人や欧米人の方も少なくなかった。コルカタでの滞在は2日間だけだったが、暑すぎるというのが一番の印象だった。この時期のインドは北以外どこ行っても40度を超える暑さらしい。まずい時期にインドにやってきたもんだ…(--;

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